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【裏話】橋本環奈の奇跡の一枚と言われる理由が衝撃!売れないアイドル時代をシンデレラストーリーに変えた撮影者は誰?

「奇跡の一枚」

橋本環奈さんを知る方は、この言葉を1度は聞いたことがあると思います。

2022年の紅白の司会を務めるようになり、大人気の橋本環奈さんがいるのは、この「奇跡の一枚」から始まったと言えるでしょう。

それでは、橋本環奈さんの「奇跡の一枚」について、当時の橋本環奈さんの年齢は?撮影者って誰なの?など詳しくご紹介していきます。

目次

【レア画像】橋本環奈の奇跡の一枚はコレ!当時の年齢は?

 
 
 
 
 
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こちらが「奇跡の一枚」です。

みなさんも一度は見たことがあると思います。

この画像は、

2013年5月3日に開催されたイベント 「博多どんたく港まつり」

で撮影されました。

『博多どんたく港まつり』は、今からおよそ840年前の治承3年(1179年)に始まったとされる伝統的な民俗行事『博多松囃子』を起源としています。長い歴史の中で受け継がれ、先人たちの知恵と努力で幾多の困難を乗り越え、昭和37年(1962年)に市民総参加の『福岡市民の祭り』となり、今年で61回目を迎えます。
引用:https://www.dontaku.fukunet.or.jp/about/dontaku/

このイベントは、福岡県の「博多リバレインモール」の5階アトリウムガーデンで開催されていたそうです。

橋本環奈さんは、撮影された当時、Rev.from DVL(レブ・フロム・ディーブイエル)というアイドルグループのメンバーでした。

そして、Rev.from DVLは、午前の部11:45分から約15分間パフォーマンスを披露していたそうです。

その時の映像がこちらです。

橋本環奈さんは、端にいてなかなか画面中央に登場してくれませんね。。

その理由は、後ほどご紹介します。

ちなみに、Rev.from DVLは、ミュージックカードを含むシングル7枚とアルバム1枚をリリースして、約14年間活動し、2017年3月31日に解散してしまったようです。

14年間も活動されていたなんて、地元で長く愛されていたのですね。

そして、2014年1月「an・an」で表紙を飾りました。

わずか、8か月後に、福岡県から全国のトップアイドルになったのです。

そして「1000年に一度の逸材」とフレーズが大流行しましたね。

橋本環奈さんにとって、2013年度は、周りの環境が目まぐるしく変化したことでしょう。

アイドルグループ「Rev.from DVL(レブフロム ディーブイエル)」のメンバー。ファンが撮影した写真が「奇跡の一枚」とネットで話題になり、大ブレーク。昨年はCMにバラエティーにと出ずっぱりで、グループのメジャーデビューも果たした。「ギュッと凝縮されたような濃い1年でした。今でも、これって全部ドッキリなんじゃないかと思うぐらいです」と笑う。
引用:朝日新聞

この時の橋本環奈さんの年齢は?というと、

14歳(中学3年生)

だそうです!

なんというかわいらしさなのでしょう。

【裏話】橋本環奈の奇跡の一枚と言われる理由が衝撃!

「奇跡の一枚」と言われたのには、理由があったんです。

しかも、知られざる裏話まであるというのです。

それでは、なぜ「奇跡の一枚」と言われたのか。

それは、この一枚の写真で、地方のアイドルが全国に知れ渡ったということ、さらに橋本環奈さんの並々ならぬ努力があったのです。

幼いころから「テレビに出たい!」と強く願っていた橋本環奈さんは、2007年(小学校3年生)で芸能事務所に所属しました。

それからは、地元福岡でのCMなどの仕事を頑張っていましたが、次第にアイドルにあこがれを抱くようになったそうです。

そして、児童劇団や地元テレビ局のドラマに出演するなど、女優を目指していました。

それと同時に、「Reb.from DVL」という女性アイドルグループでも活躍していました。

しかし、アイドルグループでの活動は厳しいものでした。

2019年8月23日に放送された「アナザースカイⅡ」で、

「奇跡の一枚」の裏話を語っています。

全員で踊っていると、身長などのバランスが重視されるので、それで出られなくなったり、それが悔しかった

というのです。

橋本環奈さんの身長は、152cmと小柄ですよね。

▼真ん中にいるのが、橋本環奈さんです。

引用:https://ameblo.jp/ktyym88/entry-12025782775.html

実は、橋本環奈さんは、「奇跡の一枚」が撮影された「wanna be」の曲では、

ステージから外されていたのです。

しかし、ステージは広かったので、

「端の方でいいから躍らせてもらい、その時の気持ちも写真の中に入っていた」

橋本によると、写真が取られた日は歌うメンバーから外されており、「そのことがどうしても納得いかなくて、社長に直談判して出させてもらったステージなので、いろいろ悔しさとかもあって表情に出てたのかな、と思います」と振り返った。
引用:https://news.livedoor.com/article/detail/17741317/

そこで、転機が訪れたのです。

この「奇跡の一枚」を撮影者がSNSに投稿し、「2ちゃんねる」や「Twitter」で爆発的に拡散され、「1000年に一人の逸材」として、全国放送でも扱われるようになりました。

もし、橋本環奈さんが端の方でもいいから出たいと言っていなかったら、そもそもこのイベントには出ておらず、写真を撮られることもなかったのです。

さらに、写真の橋本環奈さんは、激しいダンスの最中です。

そんな中で、このようにクオリティの高い写真を撮れるのはカメラマンでも難しいとされています。

しかし、これは、ファンのアマチュアカメラマンが撮影したというのです。

このように、偶然が重なって、「1000年に一度の逸材」「天使すぎるアイドル」が発見された。

ということで、「奇跡の一枚」と呼ばれたのです。

そして、橋本環奈さんの人生を大きく変えた、とても貴重な写真となりました。

売れないアイドル時代をシンデレラストーリーに変えた撮影者は誰?

そもそもこの「奇跡の一枚」を撮影したのは誰なのでしょうか。

プロではなくアマチュアカメラマンというのにも、ますます気になりますね。

それは、

「博多のタケ」さん

です。

「博多のタケ」さんは、博多で有名なアイドルの追っかけをされている方です。

奇跡の一枚をとった2年後に、テレ朝系「マツコ&有吉の怒り新党」に出演され、
アイドルおたくのキャラを存分に発揮し、大きな反響を呼びました。

そこで、当時リアルタイムにブログを更新している元ネタがあったのでみてみましょう。

引用:https://ameblo.jp/hakatano-take/entry-11527106191.html

すごく貴重ですね。

博多のタケさんは、「奇跡の一枚」が生まれた理由についてこのように語っています。

彼女を上手に撮ったのではなく鹿野城が上手に撮らせてくれるんですね。
シャッターチャンスを決めるのは彼女であり、シャッターボタンも彼女が押している。
私はシャッター音に愛情を込めるだけでいいので撮るのは凄く楽ですよ。

なんという愛のこもった理由でしょうか。

カメラマンもアイドルも純粋な気持ちがあったからこそ、生まれた一枚だったのかもしれませんね。

その後の「博多のタケ」さんは、有名になり、現在では全国のアイドルが撮影をお願いするほどの人気だそうです。

「奇跡の一枚」になったのは、橋本環奈さん自身の魅力に加えて、博多のタケさんの感受性が見事にマッチした結果だったのでしょう。

「博多のタケ」さんは、今もなおブログやTwitterで、アイドルを発信し続けておられます。

これからも、くすぶっているアイドルさんの応援団長として、情報発信を期待しています。

まとめ

橋本環奈さんは、「奇跡の一枚」からスタートし、現在に至るまで止まることなく前進し続けています。

橋本環奈さんのかわいらしさで、変顔をしたり、喋りが面白かったりと、ご自身の持ち味をしっかりと発揮されていると思います。

そして、そんなすごい人に目を付けた「博多のタケ」さんも、偶然とはいえ本当にすごい人だと思います。

アイドルもファンも、純粋な気持ちで接することで、大きな物語がスタートするのだと感動しました。

橋本環奈さんの今後の活躍を応援しています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

https://kotobakan.jp/hashimotokanna_haguki/ 

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