残る蚊を

かぞへる壁や

雨のしみ

永井 荷風

小説『濹東綺譚』の主人公「私」が明治四十三年ごろ、「亡友唖々(ああ)君が深川長慶寺裏の長屋に親の許さぬ恋人と隠れ住んでゐたのを、其折々に尋ねて行つた時よんだもの」として、同作品中に引かれている句の一つ。荷風自身の旧作と考えられている。秋の蚊は弱々しく壁にはりつき、わびしい長屋の壁には雨のしみがにじんで、古色蒼然となっている。荷風が好んで描いた市井隠逸の情緒。