静物

冬の静物は傾き まぶたを深くとざしている
ぼくは壁の前で今日も海をひろげるが
突堤から匍いあがる十八歳のずぶ濡れの思想を
静物の眼でみつめる成熟は まだ来ない

「静物」というものを考えた場合に、ぼくはセザンヌの静物画を考えていたように思います。

人間が静物を見るのではなくて、静物が生きている人間を見る。静物になったような眼で見ることが一つの成熟であるならば、そこに自分はまだ到達していない、と。自分は海に飛び込んで、ずぶ濡れになって泳いできて、有機体として生きているような状態にある。静物の緊張した状態、物になって静かに周りをみつめているという状態に、自分はまだ達していないことが、とても恥ずかしいことである、と感じていました。静物の眼で見る状態になるまでには、まだ時間がかかるのでは、と思っていました。

自分の中にある、ばたばた動くことばかりをしている生臭い動き、そういうものを抑えることができずにいることに対する、一種の反省の気持ちが、静物へのあこがれとして詩になりました。

(出典 『わが詩と真実』一九六二)