生誕の朝

風が吹く その背に乗って
高い雲が染めに来る ひとびとの眼を

水玉のように分れてゆく時の小枝に
女はまたがり歌っている
空にひそむ動物たちを 生誕と
死が湖水となり焔となる夜ごとの床を

「花々の生き死にのうちに生き死ぬ時間
それがぼくらにかかわりを持つか?」
女は笑ってきらめくを抱きしめてみせた
したたるしずくに燃えあがる腕

やがて空は満ちるだろう
女のももに
花の影はぼくらの内部にしみこんでいる
木々のあいだを言葉がひそかに泳ぎはじめる

エリュアールというフランスの詩人が好きで、この詩は、それが実を結んでひとつのかたちになったという感じがします。彼の詩は非常に軽やかで、輝きがありました。彼のおかげですいぶん詩を書くことを助けられた、元気づけられた、という意識があります。「女は笑ってきらめく魚(うお)を抱きしめてみせた」「したたるしずくに燃えあがる腕」「やがて空は満ちるだろう/女のももに」という部分には、詩人として「肉体性」を歌ってみたい、という気持ちがはっきりありました。そして、きらきら光る水の世界を何とかして表現しようとしています。わたしは本来的に、こういうきらきらした光といったものにひかれる傾向があるようです。

最後の二行「花の影はぼくらの内部にしみこんでいる/木々のあいだを言葉がひそかに泳ぎはじめる」では、自然界と人間世界とが溶け合って、交錯してくる、そういう状態を詩的表現として表したいと思いました。

この詩には、何か新しいものが生まれてくる予感がする、という気持ちで「生誕の朝」という題をつけました。

(出典 『記憶と現在』一九五六)