柿に寄せて

柿の花、今年よく咲けり
昨年の秋
そは実らざりし
敗戦の悲しみに
汝も打ちひしがれしか
三つ四つ着けたりし小さき実も
赤く実らずして、落ちにし
されど今年
汝が新生の息吹は
咲く花に溢れたり
晩春の夕映に
汝を仰ぐ我が眼
そが裏に
枝もたわわに実りし
柿の赤きが踊るさま
彷彿として現るゝなり
古りて死すると見えし柿
その枝に、今年
実おもおもと垂るゝ
想ふだに愉しからずや
柿の花、今年よく咲けり

この詩は、読むと、ちょっと照れくさくなります。中学四年のときの詩です。戦争が終わって、まだ一年しか経っていないころです。そのころ、わたしは文語体で書くのが詩だと思い込んでいたんですね。内容については、何も申しあげることはありません。柔らかな思想を外側からお城みたいに固めてくれる文語体だからできた詩です。

「敗戦の悲しみに/汝もうちひしがれしか」とありますが、私は敗戦の悲しみというのは、あまり感じていませんでした。でも、中学三年のときの敗戦は、自分の意識の上では、大きな事実として受け止めています。ただ、それは「敗戦の悲しみ」などという言い方では言えない感じなのです。「悲しみ」よりももっと重苦しいものです。だけど、やはり詩的な決まり文句が頭の中にある。この表現を使う前に、「敗戦」というものを「悲しみ」でとらえることが正しいのかどうかを、考えるべきなのです。その当時はそんなことは考えませんでした。でも、歴史的事実として、大事なことを書いているという気がしています。

(出典 初期詩篇 一九四七 ― 一九五二)