雑誌の用紙はすべて、学校の前身だった軍需工場に大量に放置されていた工員の作業日程表を失敬し、その裏側の白い部分を利用して、表紙絵も本文もすべて、絵も字も抜群だった重田がガリ版を切って製作した。

(中略)

短歌、俳句、詩、訳詩、小品文などから成っていた。内容からすると、当時の中学三年生、四年生としては、たぶん全国的レヴェルでも最も高いものの一つだったろう。

(「後日の註」『捧げるうた 50篇』より)