レポート

 柿本人麻呂はわれらの同時代人!
大岡信の『万葉集』や『私の万葉集』を貫くのはこのメッセージです。人麻呂だけではありません。旅人や憶良や家持も同時代人! 『万葉集』じたいが現代と深く呼応していると大岡信は考えます。とはいえ、なかでも人麻呂への思いは強烈。それは、人麻呂が、以後連綿とつづく日本の詩歌の根幹を作ったからです。
 漢字の日本への渡来はおそらく紀元前後にまで遡りますが、それが現に話されている日本語を表記するようになったのは、飛鳥朝から奈良朝にかけて、まさに柿本人麻呂の時代でした。日本の民謡はもとより、中国の詩歌にいたるまで、人麻呂は多くのものを手がかりに、長歌、旋頭歌、短歌を作り上げ、漢字を巧みに用いてそれを記載してみせました。日本の詩歌の形式を整え、整えたその形式にのっとって、みずから見事な抒情を展開してみせたのです。歌聖の筆頭に掲げられるのは当然でした。 白村江の戦いから壬申の乱へ、大岡信は、人麻呂の時代もまたひとつの戦後であったと考えます。明治維新以後にヨーロッパ文化が、太平洋戦争以後にアメリカ文化が入ってきたように、当時の日本には中国文化が入ってきたのです。それはとても生々しい文化体験でした。人麻呂が作った多くの枕詞がその生々しさを伝えています。詩歌が共同体の伝承から個人の抒情へと変容してゆく、その変容のうねりを伝えているのです。 大岡信はひそかに、現代の人麻呂たらんとしたと言っていいでしょう。
 今回は、その二人が形づくる入口から、『万葉集』の世界へとご案内します!

 

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