レポート

『万葉集』には、額田王をはじめとして、天平時代に活躍した大伴坂上郎女らにいたるまで、多くの女性歌人の歌が残されています。その多くは恋の歌。それは、時を超えて現代の心に響いてきます。――和歌は、和する歌。人の声に合わせ応じ、心を合わせて和らぐ歌。和歌がこのようなものであったことは、和歌の担い手の多くが女性であったことと深く関わっている、と大岡信は言っています。
 「たとえば巻四の、笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った相聞歌に代表される女性たちの愛の歌は、……多くの心の機微に満ちていて、ほとんど私たちとの間に時代の差を感じさせないのです」(『私の万葉集(二)』)。
 家持は、数十年の歳月を重ねた『万葉集』全二十巻の編纂過程の、最後の締めくくりに深く関わった詩人。巨大な宇宙のような人麻呂の歌も、名もない東国出身の防人の歌も、家持を取り巻く女性たちの私的な恋の歌も、すべて家持の手を経て、私たちのもとに届いたわけです。
 『私の万葉集』のあとがきに、大岡信はこう記しています。「これはまあ、万葉集に対する私流の友情披瀝の本、あるいは相聞歌であると言ってもいい」と。『万葉集』をめぐる大岡信のことばが、私たちの胸にすとんと飛び込んでくるのは、それが時を超えて万葉のことばと和している、いわば恋文だからなのかもしれません。
  振り放(さ)けて 三日月見れば 一目(ひとめ)見し 人の眉引(まよび)き 思ほゆるかも (巻六・九九四)
 家持十六歳。このういういしい歌から始まる、家持と天平の女性たちの恋歌の森へ――大岡信ことば館よりご案内します。

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